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広田修の書評とエッセイ

小説

砂川文次『ブラックボックス』

ブラックボックス 作者:砂川文次 講談社 Amazon 人間の暴力的な暗部を描いた作品だが、それよりもこの物語は、ある種の成熟の物語なのではないかと思った。それは、人生に対してマインドレスな状態から、人生に対してマインドフルな状態への移行の物語ではな…

プルースト『楽しみと日々』

楽しみと日々 (岩波文庫) 作者:プルースト 岩波書店 Amazon 『失われた時を求めて』で著名なマルセル・プルーストの初期作品集。全体的に装飾的なぜいたく品というイメージの文章群だ。緻密で繊細でありながら装飾的で実存から遠く離れている言葉たち。これ…

ミシェル・トゥルニエ『聖女ジャンヌと悪魔ジル』

聖女ジャンヌと悪魔ジル (白水Uブックス―海外小説の誘惑) 作者:ミシェル・トゥルニエ 白水社 Amazon 本小説は、ジャンヌ・ダルクとともに戦い、彼女に恋をし、彼女が火に焼かれるのを目撃して気が狂ってしまったジルの物語である。狂気について書かれている…

呉明益『自転車泥棒』

自転車泥棒 (文春文庫 コ 21-1) 作者:呉 明益 文藝春秋 Amazon 一台の自転車をめぐって台湾の歴史と日本の歴史に踏み込んでいく壮大な物語である。自転車の歴史に関する詳細な記述、蝶細工の歴史に関する詳細な記述、戦争の記述など、綿密な取材に基づく歴史…

青山七恵『お別れの音』

お別れの音 (文春文庫) 作者:青山 七恵 文藝春秋 Amazon 読後感がさわやかで魅力的な短編集である。登場人物たちの何気ない日常を描きながらも、そこに突っかかるものをプロットとして用意している。このちょっとした違和感のようなもの、これこそがそれぞれ…

キプリング『プークが丘の妖精パック』

プークが丘の妖精パック (光文社古典新訳文庫) 作者:キプリング 光文社 Amazon イギリスのノーベル文学賞作家であるキプリングの冒険譚。イングランドの歴史をさかのぼり、過去の英雄を呼び出してその冒険について語らせる。英雄たちが活躍していた時代は剣…

岸政彦『リリアン』

リリアン 作者:岸政彦 新潮社 Amazon 著者は質的社会学または生活史の学者として著名でもある。本書にも生活史的な人間へのアプローチは見て取れる。その一つとして、一人の人物の長い語りの中にその人物の人生を包括して立ち現せる手法があると思う。この小…

シュペルヴィエル『海に住む少女』

海に住む少女 (光文社古典新訳文庫) 作者:シュペルヴィエル 光文社 Amazon シュルレアリスムともとれる幻想的な短編集。作品世界の制作において現実世界とは異なるルールを作り、幻想的な飛躍を生み出す。そしてその幻想的な世界で生きる人間たちはとてもリ…

多和田葉子『献灯使』

献灯使 (講談社文庫) 作者:多和田葉子 講談社 Amazon 多和田葉子は言葉の新奇性を追求しているかのように思える。その意味で多和田は詩人に近く、実際に詩を書いてもいる。本作において多和田の言語の新奇性への追及は記述の角度と世界の構成いずれにも及ん…

石沢麻依『貝に続く場所にて』

貝に続く場所にて 作者:石沢麻依 講談社 Amazon 全編にわたって、3.11の大震災による心の傷によって彩られている。そして、作品は新型コロナウィルスという再びの大災害が襲い掛かるドイツのゲッティンゲンにおいて展開される。生活の様々な断片に大震災…

阿部和重『無情の世界』

無情の世界 (新潮文庫) 作者:阿部 和重 新潮社 Amazon 阿部和重は本作品でかなり極端に行動的で破壊的な人物群を描いている。社会規範に反した暴力的な行為を平気で行う者たち。だが、ここでは社会規範というよりも己の内なる規範である超自我をいともたやす…

李琴峰『彼岸花が咲く島』

【第165回芥川賞受賞作】彼岸花が咲く島 (文春e-book) 作者:李 琴峰 文藝春秋 Amazon 記憶を失った少女がある島にたどり着くところから物語は始まる。島では独特の言語体系があり、政治の体制も独特だった。やがてそのような言語体系や政治体制が生まれた歴…

燃え殻『これはただの夏』

これはただの夏 作者:燃え殻 新潮社 Amazon 人生が現在最悪な人、あるいは人生がかつて最悪だった人へと捧げる哀歌のような作品。主人公と風俗嬢のユカは、生きることに虚無感を抱き、周りともうまくなじめず自己肯定感が低く、最悪な日々を送っている。それ…

中上健次『水の女』

水の女 (講談社文芸文庫) 作者:中上 健次 講談社 Amazon 短い作品が多く、また短い作品においては作品の設定が貧弱で男女の交接ばかり描いているため、比較的長くて舞台設定がしっかりしており、登場する女性も独立している「鷹を飼う家」を中心に感想を述べ…

ゴットヘルフ『黒い蜘蛛』

黒い蜘蛛 (岩波文庫) 作者:ゴットヘルフ 岩波書店 Amazon 19世紀に書かれた小説なので、いわゆる「古典」といった部類かと思ったらかなりエンタメ要素の強いホラー小説である。領主の無茶な要求に困り果てた村人が悪魔と契約し、契約を履行しないことから…

モディアノ『パリ 環状通り』

パリ環状通り 新装版 作者:パトリック・モディアノ 発売日: 2014/12/05 メディア: 単行本 主人公はかつて別れてしまった自らの父との接触を試みる。父は相変わらず詐欺じみた稼業に手を染めていて、仲間たちからも軽く扱われている。主人公がかつて父ととも…

乗代雄介『旅する練習』

旅する練習 作者:乗代雄介 発売日: 2020/12/28 メディア: Kindle版 本作品では、サッカー選手になることを夢見る小学六年生の女子の活き活きした情景が活写される。だが、この少女はいずれ事故にあってしまう。それだけではなく、会社に内定が決まったのに内…

乗代雄介『最高の任務』

最高の任務 作者:乗代 雄介 発売日: 2020/01/11 メディア: 単行本 ヒロインは子供のころおばから日記帳を渡される。ヒロインが大学を卒業してから旅行などする合間にその日記帳の中身を回顧するというお話。日記を書くという行為は内省をする行為であり、人…

ポール・オースター『オラクル・ナイト』

オラクル・ナイト 作者:ポール オースター メディア: 単行本 ポール・オースターの作品は初めて読んだ。物語の主要な筋としては、事故にあって回復途中の作家がまだ健康を取り戻していないのに妻が妊娠して出産をどうするか葛藤がある。その後妻は暴行を受け…

砂川文次『戦場のレビヤタン』

戦場のレビヤタン (文春e-book) 作者:砂川 文次 発売日: 2019/01/31 メディア: Kindle版 本書は戦争が頻発する地域に警備会社の社員として施設の警備に赴いた元自衛官の語りという構成をとっている。その近辺では常に戦争が起こっており、実際主人公が警備し…

乗代雄介『十七八より』

十七八より 作者:乗代雄介 発売日: 2015/09/25 メディア: Kindle版 この作品は乗代のデビュー作である。デビュー作ゆえの余裕のなさは感じるのだが、その余裕のなさは作品を書くにあたって自らの能力を最大限発揮しようとしているところから生じるのだと思う…

荻野アンナ『カシス川』

自身の大腸がんの闘病記であると同時に母との関係や母の死をつづった作品でもある。本作品はルポルタージュやノンフィクションではなく、あくまで小説として書かれているので、文章には様々な小説的な仕掛けが施されている。一番の仕掛けはユーモアであろう…

楊逸『流転の魔女』

この作品にはヒロインが二人いて、一人は中国人の留学生であり、もう一人は5千円札を擬人化した「おせんさん」である。中国人留学生の物語は平凡なのであるが、紙幣を擬人化しその視点から世界を記述するというパースペクティブの設定が本書の魅力なのであ…

モディアノ『失われた時のカフェで』

失われた時のカフェで 作者:パトリック・モディアノ 発売日: 2011/05/02 メディア: 単行本 ルキという謎の女性をめぐる多角的な断章集。彼女を愛する様々な男性、そして彼女自身によりルキの謎は少しずつ明かされていくがそれでも全容はつかめない。それぞれ…

遠野遥『破局』

破局 作者:遠野遥 発売日: 2020/07/04 メディア: Kindle版 若者にありがちな心理と行動を描いた作品。主人公は大学生、刹那的・感覚的で深い思慮を持っていない。なんとなく安定といわれる公務員を志望し、なんとなく恋人と別れ新しい恋人と付き合う。作品中…

綿矢りさ『しょうがの味は熱い』

しょうがの味は熱い (文春文庫) 作者:綿矢りさ 発売日: 2015/06/05 メディア: Kindle版 同棲して三年たつカップルがなかなか結婚に踏み切れずいたところ、ようやく結婚に至るというお話。だが、結婚よりもカップルが二人で暮らすことに関する心理的ディテー…

ジイド『法王庁の抜け穴』

法王庁の抜け穴 (岩波文庫 赤 558-3) 作者:アンドレ・ジイド 発売日: 1928/10/20 メディア: 文庫 アンドレ・ジイドといえば、『狭き門』や『田園交響楽』といった「愛と信仰」をテーマにした作品が有名である。それに対して本作は全く俗っぽく、現実社会の愚…

結城信一『セザンヌの山・空の細道』

セザンヌの山・空の細道―結城信一作品選 (講談社文芸文庫) 作者:結城 信一 メディア: 文庫 結城信一の作品には一定のテーマがあり、それは存在しないかもはや会うことのない女性や少女への情熱的な恋情である。もはや死んだ妻や娘への強い愛情を示したり、恋…

乗代雄介『本物の読書家』

本物の読書家 作者:乗代 雄介 発売日: 2017/11/24 メディア: 単行本 この小説はかなり作りこまれている印象を受けた。まず、小説としての本筋の方でもミステリー仕立てでよく作られている。それだけでなく、小説の語りの中に文学研究の語りが挿入され、その…

古井由吉『野川』

野川 (講談社文庫) 作者:古井由吉 発売日: 2012/10/18 メディア: Kindle版 老いに達した著者の身辺雑記的・エッセイ的小説。基本的に大きな筋らしきものは見当たらない。ただ、病気で入院した後に自らの生活に起こったことを淡々と描いていく。友人の死であ…