albatros blog

広田修の書評とエッセイ

呉明益『自転車泥棒』

 

 一台の自転車をめぐって台湾の歴史と日本の歴史に踏み込んでいく壮大な物語である。自転車の歴史に関する詳細な記述、蝶細工の歴史に関する詳細な記述、戦争の記述など、綿密な取材に基づく歴史と近接した重厚な物語が展開される。まず、事実の記述の稠密さが目を引く。虚構性を十分担保しながら事実性の強度を強めていくことによる記述の厚みと説得性。そして、歴史とは膨大な文脈を持つ共同的な記憶である。読む者は歴史と近接した記述を読むことでその膨大な文脈に接続され、孤独ではなく共同体とともに読み、共同体とともに歴史を豊富化する。

 読み終えた後に走る戦慄がすごかった。とても精巧に作られた物語であり、取材にもだいぶ時間をかけており、とにかく手がかかっている作品である。こういうものは十分な構想をもとにしなければ書けない。作者の人生経験と、自転車などに関するマニアックな知識、そして歴史に関する大きな知識、そういうものが縦横無尽に手間暇かけて組み合わされている感じがする。これほど優れた小説はかなり久しぶりに読んだ気がする。とにかく一度は読むべし、現代の古典である。