albatros blog

広田修の書評とエッセイ

雨の休日

 今日は雨である。昨日とおとといは何かと忙しく、今日は何となく疲れている。妻も朝ご飯を作った後疲れて寝てしまい、私は一人居間で本を読んでいた。雨の日、人は思索的になる。雨の日、人は己の内面を見つめる。結婚生活ももう9か月、いろんなことを積み重ねてきた。楽しいことや楽しくないこと、共有できたことや共有できなかったこと、いろんなことがあった。仕事も上半期がだいたい終わり、その疲れが押し寄せているところだ。仕事も山あり谷あり、少しずつ成長してきたと思う。これからの後半戦に向けて、今日のような日はゆっくり休みたい。疲労とは何か、雨とは何か。そんなことで文章を書きたいと思っている。これまで疲労について何を考えてきたか、雨について何を考えてきたか。これまでの結婚生活を振り返るとどうなるか。人は雨の日思索的になる。

李琴峰『独り舞』

 

独り舞

独り舞

 

  ヒロインはレズビアンであり、また性犯罪被害を受けることでうつ病を発症している。また、恋人との別れを繰り返し、心に傷を負っている。優秀な人物であるが、内面には深い闇が広がっていた。

 結局ヒロインは日本での仕事を継続できなくなるのだが、そこにあらわれてくるのは孤独なダンサーのイメージ。ヒロインの孤独はマイノリティであることや心に傷を負っていることから主に形成されている。そしてこの孤独は内面の深みと同義なのかもしれない。心の内面が複雑で深みを形成している人ほど孤独なのかもしれない。

 孤独はよく連帯の対義語のようにとらえられているが、実は単なる連帯の対義語ではないのかもしれない。連帯しつつも孤独であること、それはその人の内面の限りない深さに由来する。そのようなことを考えさせてくれる小説だった。

午後休の使い方

 私は昨日体調もすぐれず、また外耳炎の治療の必要があったため午後休をとった。思えば午後休というのは便利な制度である。使える年休には限りがある中、また日々仕事で忙しい中、ちょうどいい具合で休みが取れるのはとてもいい。
 多少体調が悪くても半日なら働けるという日はある。そういう時にきちんと出勤し、それなりに仕事をしておくというのが後々のために良い。また、平日用事があるがその用事に一日はかからないという場合も午後休はとても便利である。また、年休の減りが少ないというメリットがある一方、職場にはあまり悪いイメージをもたらさない。休みが多すぎると責任感が欠如しているとか仕事の進行管理に支障をきたすとか思われがちだが、半日顔を出しておけば心象は悪くないし、実際それなりに仕事が進むので安心である。
 また、午後休はリフレッシュにも使える。心身の疲労がたまったとき、半日でもいいから仕事のことを忘れられるというのは貴重である。少し労働から身を話してデトックスしてからまた仕事に臨むと、仕事の効率も上がるというものである。
 午後休をうまく使っていきたい。

 

今村夏子『星の子』

 

星の子

星の子

 

 ヒロインは一風変わった女の子で、どこか周りから冷淡に扱われている。また、両親が宗教に入っていることもあり、それも周りから疎外される原因になっている。ヒロインは中心というよりは周縁で生きる存在である。学校の周縁、親族の周縁、そういった様々な周縁が折り重なるところで生きている。だがそれでありながらヒロインには普通に友達がいたりして、首の皮一枚で周囲とつながっている。

 ところで、このような周縁的存在として人間を捉えると、どんなに学校の人気者であっても何らかの周縁にいることが分かる。例えばこの小説に出てくる人気者の先生であっても、教頭からはよく思われていなかったり、皆が皆それぞれの周縁を生きていることが分かる。人間は必然的に何らかの意味で周縁的存在であり、それでありながら中心ともどこかでつながっている。

 

上半期の総括

 今年度ももうすぐ上半期が終わります。この上半期、結構毎日忙しかったです。休日も何かと用があったりしてよく休めないまま次の週へ、ということがよくありました。働き方改革が始まり、仕事と家庭の両立ということも課題でした。とにかく私は家庭を持ったばかりなので、どの程度家族サービスをすればいいのか、仕事をどれだけ効率的に遂行するか、いろいろ試行錯誤をしました。新しい部署での仕事にもだいぶ慣れてきましたが、小さなミスが大きな問題に発展する類の仕事であるため、仕事の正確さは一層高めていきたいです。

 読書の方はだいぶはかどりましたが、結婚してから一人の時間を取りづらく、アウトプットがあまりはかどりませんでした。なかなか腰を落ち着けて文章を書くということができなくなってきました。この辺は本当にうまく都合をつけていきたいです。良い作品を書きたいし良い文章を書きたいしいろんなことについて考えを深めていきたい。今は時代の転換期。新しい時代に応じた思想が要求されています。アウトプットに一層努めていきたいです。

古川真人『縫わんばならん』

 

縫わんばならん

縫わんばならん

 

  小説は個人の唯一の人生を超え出るものである。もちろん、読書体験もまたその個人の人生の一部に過ぎないわけであるが、その個人の人生を超えようと限りなく力を発するのが良い小説であろう。本小説は、単に読者の人生を超え出るだけでなく、小説の語り手を複数にすることで、小説の語り手の人生をも超え出ようとする。本小説は三人の視点からある一族について語られるわけであるが、そもそも歴史や血統というものは複数の人間の人生を要するだけの大きな物語なのだ。歴史や血統を語るためには個人の人生を超え出ようとする必要があり、それをやってのけている本作は目を見開かれるような作品の広がりを感じさせる。

 人生の唯一性の超越という、決して果たすことはできないが小説が常に果たそうとしている営みを強く感じた。そして、それは歴史を語るうえでは必須の営みに他ならない。

本物の休み

 サラリーマンの休日は忙しい。いろんな生活の雑事を休日にこなすため、休日は買い物に行ったり書類を書いたり髪を切ったりなどやることが集中する。休日に旅行の予定を入れると、確かに旅行は楽しいのだが疲れもする。さらに、基本的に週末は一週間の疲れが取れていない日である。疲れた体でそういった雑事や旅行をこなさなければならない。また、体調を崩して療養するために休日をとることもあり、休日はなかなか充実したものとはならない。
 それに比べて、今日の私の休みは本物の休みだ。まずやるべき雑事は昨日までにこなした。そして疲労はすっかり取れ、気力体力とも充実している。体調が悪いわけでもない。このような日にあえて休むということ。これこそが本物の休みであり、こういった時こそ本物の休息を得られるのである。手持無沙汰なほどやることのない充実した休み。こういう休みこそサラリーマンには必要なのだ。明日からの仕事はきっとはかどるだろう。