albatros blog

広田修の書評とエッセイ

プルースト『楽しみと日々』

 

 『失われた時を求めて』で著名なマルセル・プルーストの初期作品集。全体的に装飾的なぜいたく品というイメージの文章群だ。緻密で繊細でありながら装飾的で実存から遠く離れている言葉たち。これこそがハイデガーのいう「空疎なおしゃべり」だろう。だが私は決して空疎なおしゃべりを低く評価しない。本作品集で出色だったのが詩作品であることからわかるように、プルーストスノビズムは空疎なおしゃべりであるからこそ文章の遊戯的な美しさを生み出すことが可能となったのである。

 本作品集は人生について何事か大きなことを語っているのではない。社交的な場面の装飾的な些事について延々と語っているのである。だがその醸し出す優雅な雰囲気と文体の美しさがまさに芸としての文学を作り出している。哲学とははっきりたもとを分かった文学の姿がここにはあり、この作品集は空疎であれば空疎であるほど美しい。文学の美しさの条件とは実は空疎さなのかもしれない。