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広田修の書評とエッセイ

日本文学

森本孝徳『零余子回報』(思潮社)

零余子回報 作者:森本 孝徳 思潮社 Amazon 言葉との激烈な格闘を久しぶりに目にした。森本は、日本語という牢獄、ひいては言葉という牢獄から脱獄を企てている。だが、その脱獄の試みは、日本語や言葉という牢獄に一層深く囚えられるという両義性を備えてい…

野木京子『ヒムル、割れた野原』(思潮社)

ヒムル、割れた野原: 詩集 作者:野木 京子 思潮社 Amazon 存在に関する詩集だと思う。「失ってしまった何かを呼び戻すため詩を書いている」と本人もあとがきで書いているが、存在を失ったり取り戻したり、そのような存在とのかかわりであったり、存在が様々…

大江麻衣『にせもの』(紫陽社)

この詩集にはかなり斬新な感受性が現われていると思った。今となっては斬新ではないのではないかもしれないが、当時は斬新であっただろう。絶妙な飛躍と直情的な表現の絡み合いがとても巧みである。性的な表現も面白く読める。性的な表現や直情的な表現が、…

和田まさ子『途中の話』(思潮社)

途中の話 作者:和田まさ子 思潮社 Amazon 和田まさ子の詩は長さが絶妙である。長すぎず短すぎない一定の長さを保っているが、この長さが必要十分な長さなのである。単発の詩想では終わらない。かといってだらだらと際限なく書くわけでもない。小気味よい長さ…

松川紀代『頬、杖』(思潮社)

頬、杖 作者:松川紀代 思潮社 Amazon 人生の年輪を感じさせる詩集である。老境に至り、人生のレイヤーを数限りなく重ねた詩人が、そのレイヤーを貫通するように、全人生を駆け抜けるように書いた詩集である。どの作品にも歳を重ねた厚みが感じられ、あらゆる…

須藤洋平『あなたが最期の最期まで生きようと、むき出しで立ち向かったから』(河出書房新社)

あなたが最期の最期まで生きようと、むき出しで立ち向かったから 作者:須藤 洋平 河出書房新社 Amazon 震災文学。被災地にいながら東日本大震災で感じ取ったことを、真率かつ激烈に、衝動的にたたきつけるように書いている。自身の切迫する思いや、聞き知っ…

マーサ・ナカムラ『雨をよぶ灯台』(思潮社)

雨をよぶ灯台 新装版 作者:マーサ・ナカムラ 思潮社 Amazon 何とも一筋縄ではいかない詩集だと思った。平易なようでありながら、肝心なところで非常に難解である。これは人間関係のようで、お互い分かりあっているようで肝心なところですれ違っている感覚で…

水下暢也『忘失について』(思潮社)

忘失について 作者:水下 暢也 思潮社 Amazon 水下の作品からはとても静謐な雰囲気が漂っている。静謐でありながら、そこには限りなく微細な世界が広がっているのだ。静謐であるといっても、動きがないわけではない。そこには微細なものの緩やかで繊細な運動…

中村稔『言葉について』(青土社)

言葉について 作者:中村稔 青土社 Amazon 中村稔が長年の詩作経験などから引き出した、言葉についての詩的考察群。言葉について非常に多角的な考察が展開され、中村稔の知性と感性の際立ちが見られる。文章は格調高く、彫琢されている。詩としての強度を十分…

髙木敏次『傍らの男』(思潮社)

傍らの男 作者:高木 敏次 思潮社 Amazon 髙木敏次ほど改行の巧みな詩人は少ないと思う。髙木にとって改行は独特の世界を切り開いていくうえで極めて重要なレトリックである。髙木は改行によって彼自身の独特のリズムを刻む。行が改められるリズムが髙木にお…

岩木誠一郎『声の影』(思潮社)

声の影 作者:岩木誠一郎 思潮社 Amazon 詩が世界の薄層を正確にとらえるものだとするならば、岩木の作品はまさに世界の薄い膜を繊細な手つきで取り出してくる稀有な作品だ。風景があり、それを見る主体がいる。だが、風景の奥深い構造とか主体の複雑な内面は…

町屋良平『恋の幽霊』

恋の幽霊 作者:町屋 良平 朝日新聞出版 Amazon 町屋良平が中年の人生を扱うのは初めてではないか。今まで青春ばかり描いてきた作家であるが、本作においても、学生時代つるんでいた4人組の「恋」とも呼べる濃密な関係が中心に描かれる。だが、それと対比さ…

村田沙耶香『変半身』

変半身 (ちくま文庫) 作者:村田沙耶香 筑摩書房 Amazon 村田沙耶香は人間の性について多くの小説を書いてきた。それは性についてこのような可能性もあるのではないかということでSFの形式をとることが多かった。この、性とSFというものが、伝承的な儀式と結…

上田岳弘『最愛の』

最愛の 作者:上田 岳弘 集英社 Amazon 上田岳弘にしては珍しいメロドラマだが、メロドラマという小説の枠組みを使って上田なりの実験をしているように思える。上田は決してメロドラマ自体を書きたかったのではなく、メロドラマという枠組みの中で自分の理論…

今村夏子『とんこつQ&A』

とんこつQ&A 作者:今村夏子 講談社 Amazon 今村夏子の作品には、人間の原初的なルールに沿えない人たちがよく描かれる。表題作では、コミュニケーションのルールに沿えない人が主人公だ。こういう人たちは疎外されたり追放されたりするのが常だが、表題作…

九段理江『東京都同情塔』

東京都同情塔 作者:九段理江 新潮社 Amazon 「政治的人間」とでも呼ぶべき建築家が主人公の小説。至る所にちりばめられてある政治的なタームの洪水が面白い。これはおそらく主人公が数学が得意なことと関係している。数学的に社会をとらえるとそれは社会科学…

津村記久子『サキの忘れ物』

サキの忘れ物(新潮文庫) 作者:津村記久子 新潮社 Amazon 津村は初めの頃お仕事小説を多く書いていた。なかなか愚痴に満ちたもので、私は津村のお仕事小説にはもう食傷気味であった。ところがお仕事小説を脱した津村は、お仕事小説で培ったストーリーテリン…

小川三郎『忘れられるためのメソッド』

忘れられるためのメソッド 作者:小川三郎 七月堂 Amazon 本詩集は、詩人の心の動きを丁寧に追いながら、通常の感慨の中に通常でない鋭いひらめきを持ち込んでいる。詩行の運びは緩慢なようでありながら、急に速度を増し、緩慢な中に激しさを持ち込んでいる。…

佐峰存『雲の名前』

雲の名前 作者:佐峰存 思潮社 Amazon 淡々と知的で繊細な描写が続いていく詩集であるが、その表面とは裏腹に、その背面、あるいははるかかなたでは非常にきな臭い出来事が起こっている。人間の情熱の炎だけではなく、社会的な争いや、何もかもと無関係に燃え…

楊逸『金魚生活』

金魚生活 作者:楊 逸 文藝春秋 Amazon すごく密度の高い小説だと思った。仕事のことや家庭のこと、しかもその仕事には独特の事情があり、家庭にも独特の事情がある。どうやら一筋縄ではいかない物語なのである。だが人生とは実際にこのくらい複雑で密度の高…

村田沙耶香『しろいろの街の、その骨の体温の』

しろいろの街の、その骨の体温の (朝日文庫) 作者:村田 沙耶香 朝日新聞出版 Amazon まず、この小説は、小学校4年生から中学校3年生までという特異な時期を設定している点に注目したい。いわゆる思春期であるが、思春期よりも若干前であり、この後も思春期…

尾久守侑『Uncovered Therapy』

Uncovered Therapy 作者:尾久守侑 思潮社 Amazon 若い世代の詩集を読むのは新鮮だ。我々旧世代とは異なるマインドセットで書かれているからだ。我々旧世代は、自らの根拠を固めるために大きな物語を必要とした。それは一言でいえば教養であり思想だった。だ…

村田沙耶香『タダイマトビラ』

タダイマトビラ(新潮文庫) 作者:村田沙耶香 新潮社 Amazon 家族として愛されているということが人間の条件をなすのではないかと思わされる作品。主人公は、正常な愛情が成立していない家庭で育っている。母親からも父親からも十分愛されず、弟との関係もよ…

市川沙央『ハンチバック』

ハンチバック (文春e-book) 作者:市川 沙央 文藝春秋 Amazon 文学の正しい政治的利用だと思う。もちろん文学作品としての完成度も高いわけだが、その文学作品としての完成度の高さを媒体として、重度障碍者の置かれている現状を社会問題として提示している。…

伊藤悠子『白い着物の子どもたち』

白い着物の子どもたち 作者:伊藤悠子 書肆子午線 Amazon エッセイ的な日常に立脚した詩編が多い中、油断していると、不意に激情や、生死の問題などが現れはっとさせられる。エッセイ的に書かれた詩編といえども、著者の人生経験の蓄積に基づいて書かれている…

水嶋きょうこ『グラス・ランド』

グラス・ランド 作者:水嶋きょうこ 思潮社 Amazon 風景の細やかな描写が目を引く詩集。もちろん風景だけではなく、他人や自分の身体などもテーマになっているのであるが、大体において即物的に書かれている印象が強い。ここで描かれているのは、外界を感受す…

古川真人『ギフトライフ』

ギフトライフ 作者:古川真人 新潮社 Amazon 現代日本の様々な問題を解決しようと抜本的な対策をした近未来の日本の物語。少子化対策は本格的になり、デジタル化が進み貨幣はすべてポイントになり、民営化は徹底され「企業」の独裁体制になっている。また、そ…

高山羽根子『パレードのシステム』

パレードのシステム 作者:高山 羽根子 講談社 Amazon 近しい者の死によって変容する過程にある主人公を描いている。台湾とかかわりをもつ祖父が自死し、祖父の来歴などについて徐々に明らかになっていく。一方で、主人公と同じく芸術作品を作成する親友も自…

岩佐なを『たんぽぽ』

たんぽぽ 作者:岩佐なを 思潮社 Amazon ユーモアとウィットを巧みに利かせた異空間の詩集。これほど上品に、かつこれほど軽快に、ユーモアとウィットを自然体で活用できる詩人は少ないと思う。ちょっとしたおかしみ、ちょっとした気の利いた工夫、そういうも…

中村梨々『健やかな胸』

中村の詩を読むと、人生の疲労や社会生活の疲労などをまるで感じさせない、それこそ疲労していない「健やかな」作品を読むことができる。もちろん中村も疲労するのであろうが、疲労からの回復力、レジリエンスが卓越しているのであろう。あるいは疲労すらも…