albatros blog

広田修の書評とエッセイ

高山羽根子『パレードのシステム』

 近しい者の死によって変容する過程にある主人公を描いている。台湾とかかわりをもつ祖父が自死し、祖父の来歴などについて徐々に明らかになっていく。一方で、主人公と同じく芸術作品を作成する親友も自死した。その二つが重なり合って、主人公に衝撃を与え、主人公の核になる部分が少しずつ変容していく。この変容は決して終了することがないだろう。その変容の過程にある主人公を描いている。

 近しい者の死というものは整理のつかないものだ。整理のついてしまう物事というものはひょっとしたら世の中には存在しないのかもしれない。人は出来事について批評や整理を試みるが、それによってすべてが解明・解決されることはありうるだろうか。むしろその批評や整理すらも過程でしかなくて、すべて出来事というのは未整理のままただかかわった人に痕跡を残して継続していくのではないだろうか。特に他人の死はそういう性格の強い出来事である。他人の死は決して整理できない。