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広田修の書評とエッセイ

中村梨々『健やかな胸』

 中村の詩を読むと、人生の疲労や社会生活の疲労などをまるで感じさせない、それこそ疲労していない「健やかな」作品を読むことができる。もちろん中村も疲労するのであろうが、疲労からの回復力、レジリエンスが卓越しているのであろう。あるいは疲労すらも健やかなものに変えてしまう変換の能力にたけているのかもしれない。

 「健やかな胸」により呼吸され、吸われる風景、吐き出される言葉は、どれも新鮮で若々しく、少女的な感性により記述されている。この健やかな少女性というものについて、当然健やかでない少女性というものもあるのであろうが、あくまで健やかな面を切り取ってくるあたりが読詩体験の明晰さを生み出している。

 中村の詩から読み取れるのは、少女的な衝動と感性であるが、もちろんこれは詩作の技術の一つなのだろう。くたびれた散文を書くことなんて誰にでもできる。そうではなく、生まれたての詩文、疲労していない詩文を書くということ。それは詩としての健やかさかもしれないし、詩人としての健やかさかもしれない。