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広田修の書評とエッセイ

高橋弘希『スイミングスクール』

 

 事実の強度が感情の強度を暗示的に示している作品。この小説を読んでまず気づくことは、登場人物の家族にまつわるエピソードが極めて濃密に描かれていることだ。その家族の事実について登場人物の心情は取り立てて描かれない。だが、この家族に関する濃密な事実は、当然登場人物の家族への心情的なつながりを示唆するだろう。そして、登場人物の家族は離婚したり死んだり病気になったりするのである。ここでも事実は淡々と描かれるが、そもそも家族についての記述が濃密であるが故、登場人物の心情的な衝撃も容易に推認される。特に内面について深く書かなくとも、外面的な記述を濃密に行うことで内面の大きな動きを暗示することができる。

 この小説は何よりも家族についての小説だ。家族とは自己に極めて近い。家族に事故があればそれは己の事故である。そのくらい近しい存在である家族というもの。それを執拗に濃密に描くということ。家族の描き方について、このようなドライな描き方は新しいと思った。