高山羽根子の作品には世界を広げていく想像力を感じる。かといって、無理やり世界を大きく展開していくのではなく、狭い世界が実はより大きな世界と接続していたのではないかという可能性をほのめかすのである。本作品では、壁新聞を作っていた祖父が、サーカスや紙幣偽造などに関与していたのではないかという可能性が仄めかされる。狭い世界がより広い世界と接続していく想像力の働きが見えるのである。
だが、高山の巧みなところは、最終的には世界の拡張を読者の想像力に委任するところである。高山は世界の拡張という謎しか残さない。実際に狭い世界と広い世界を接続していくのは読者自身であり、それは読者の権限としてゆだねられている。読者は高山の作品を読むにあたって想像力が試されるのである。だいたい、文学作品など解答がないものである。どんなに明確に語っている作品であれ、様々な解釈の余地を残している。その端的な事実を改めて白日の下にさらしているように思える。