切実な詩というものは、訴えかける力が強い一方どこか押しつけがましいものがある。自らの体験をじかに伝えるような詩は、確かに説得力があるが同時に重苦しいし絡みついてくる感覚がある。それに対して大崎の本詩集は、フィクションとして限りなく自由に想像力を広げている。もちろん、そこに描かれているのは突飛なものではなくあくまで生活と接続したものだ。それであっても、自由なフィクションというものがこんなに軽やかで、それでありながら非常に暗示に富むものであることがよくわかる。
「体から語る詩」と「口で語る詩」があるとするならば、本詩集は「口で語る詩」である。実体験から重苦しく発される「体から語る詩」よりもむしろ軽やかに歌い始める「口で語る詩」であろう。実体験に強く縛られるのではなく、そこから遊離し自由に遊び始める作品群である。このような傾向は最近の現代詩におけるトレンドのような気がする。