斉藤の本詩集はウィットやユーモアに満ちているのだが、それよりも大事なのはこの詩集が愛に満ちているということだろう。斉藤は決して愛に飢えている孤独な人間ではない。むしろ愛し愛されることを熟知している人間だろう。そうすると、彼のユーモアも恋人の前でふざけているかのような様相を帯びるし、彼のウィットも恋人との会話で使われるウィットのように愛に満ちたものに見えてくる。
斉藤の本詩集は、読むと心が充満するかのような感覚があり、それは本詩集が愛で充満しているからだろう。満たされているがゆえの自信や幸福、そういうものが詩の位相を変えている。これは大人のための詩集なのだ。愛し愛されることを熟知した成熟した大人のための詩集なのだと思う。孤独な病める魂ではなく、愛する満たされた魂による抒情という転換が見られる。