albatros blog

広田修の書評とエッセイ

塚本敏雄『さみしいファントム』

 塚本のこの詩集には、飛翔と着地という詩の基本的な運動がよく見える。幻想的な詩群によって現実から飛翔していく、鋭い感受性によって現実を超えていく、そのような運動を見せる一方、自らの老いを静かにまなざすような着地の運動も見せてくる。飛翔しっぱなしでも着地しっぱなしでもなく、ときには飛翔しときには着地するという旋律が見えてくる。

 凝りすぎず、緩みすぎず、成熟した詩人のちょうどよい肩の力の入れ具合である。肩の力の入った詩は完成度が高いが読んでいて疲労する。疲労を和らげるような詩が挿入されているのがとてもいい。読者を疲労させないということは、詩集にとっては重要な在り方のような気がする。作者も読者も疲労せずに、そこに温かい空気が循環していくということ。それは生ぬるいのではなく、配慮に満ちているのである。現代詩に必要なのはそういった配慮なのである。独りよがりのいきり立った詩集などもうこの年になると読みたくない。