albatros blog

広田修の書評とエッセイ

大木潤子『遠い庭』

 遠い庭で色とりどりの雨粒が降っている。どこだかわからない、ひょっとしたら存在しないかもしれない遠い庭で。この雨粒は詩の形式をとっているが、それぞれの大きさと速度と音を持っていて、一つ一つの断章が一つ一つの雨粒として空から降ってきてははじけ散っていく。このような詩の雨粒がたくさんちりばめられている。

 それほど修辞に凝っているわけでもなく、バランスがとれたなめらかで熟達した詩群である。詩人の言葉への感度が感じられる好ましい詩集だ。一つ一つの小さな断章も、それぞれが動きをもっていて、それこそ雨粒のように美しい音を奏で、我々の視界に延々と降り注いでいく。

 遠い庭ではそれがあまりにも遠いために何事も起こらない。この何事も起こらないということが重要であって、この事件に満ちた世界の外側、それこそ永遠に遠い庭なのだろう。何事も起こらないけれどそこには生成の働きが常にあって、可能性に満ちた雨粒として詩は紡がれていく。じっくり堪能させていただいた。