albatros blog

広田修の書評とエッセイ

杉本真維子『皆神山』

 杉本は本作で生活の領域を明確に作品に持ち込んでいる。生活臭を排した美的空間の創出ではなく、生活も含めた様々に循環する空間を創出している。

 まず、美的空間・虚構的空間と生活の間の循環が成立している。生活が明らかに詩に入り込むことで、美的・虚構的な作りこんでいるところもどこか詩人の身体に還流し、また詩人の身体がそれらを作りこんでいるような流れを生み出している。

 また、聖なるものと俗なるものの間の循環が成立している。死や霊的なものも生活とどこか連関している。聖と俗を峻別するのではなく、そこに相互に連関するものとしての循環を生み出すこと。

 そして、正常なものと異常なものの間に循環が成立している。異常なものだけを書き綴っていれば詩になるという時代ではもうないのかもしれない。正常なものとの連関、正常なものも常に異常になりうるし、異常なものもつねに正常になりうる、そんな変動する世の中を反映しているのかもしれない。

 このように、作品世界を固着した静的なものではなく、循環する動的なものとして構築したところに私は本作の魅力を感じる。