albatros blog

広田修の書評とエッセイ

今村夏子『木になった亜沙』

 

 本作は、自分が与えるものをだれにも受け取ってもらえない少女が主人公だ。贈与というのは人間の共同体の基礎にある関係であり、お互いに贈与しあうことで人は人と人との共同体のネットワークに加入しているのである。だが、主人公はその人間の基本的なネットワークから疎外されてしまう。そして、人間の基本的なネットワークから疎外されることは、自らが人間であるということの喪失にもつながる。疎外とは自己喪失なのである。今村が描き続けてきたテーマというのは、まさに人間の疎外による自己喪失だと思う。本作はそれが端的に表れていて、今村がついに自らのエッセンスをじかに表現してきた作品だと思う。

 疎外は古くて新しいテーマだ。ある意味何らかの疎外感を抱えている人間が多く文学に携わってきたといってもいい。だから本作は文学の成立条件をめぐる作品なのかもしれない。文学とは疎外によって喪失した自己を取り戻す営みなのかもしれない。