albatros blog

広田修の書評とエッセイ

弱者の声

 詩は誰からも掬い上げられない弱者の声を聴くものだ、と言われたりしますが、むしろ詩は弱者の声ばかり聴いてきたと思います。詩を書く人間が基本的に弱者だからです。だからこのテーゼというのはまさに詩人のルサンチマンの表現であって、このルサンチマンに従って詩人は自分が正当化されたように感じてきたのです。

 でもそうではない、詩は多種多様なおよそ社会にあるすべての声を聴くものだ、とするのが私の立場です。詩人は早々とルサンチマンから卒業しなければなりません。そしてもっと多様な人生経験をして多様な観点から詩を書いていかなければなりません。

 もちろん、詩人は己の内なる弱者の声を聴く、というのは正しいと思います。己のもっとも弱くて敏感な部分の声を聴く必要があるでしょう。ですが、この内なる弱者はどんな人間にでも存在するのです。億万長者にも総理大臣にも存在します。

 とまあそんな話はどうでもいいんですが、肌寒い日が増えてきました。昨日私は初めて娘の服を選んだのですが、なかなか自分の子供の服を選ぶというのは楽しい行為ですね。こういう経験を積み重ねていきたい。