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広田修の書評とエッセイ

ジョン・バンヴィル『海に帰る日』

 

海に帰る日 (新潮クレスト・ブックス)

海に帰る日 (新潮クレスト・ブックス)

 

  人間にとっての重大事件とは、一に恋愛なのかもしれない。本作品では年老いた主人公が、子供のころの初恋と妻との恋愛、その二つの恋愛を回想している。だから、本作品には三つの時間軸が流れていて、重層的に物語は展開していく。しかもその二つの恋愛はいずれも相手を失っていて、何とも余韻の残る、その余韻の中で現在の老人は生きているのだ。

 本作品は単純に愛と喪失を描いたのではなく、語りの重層性や緻密な構成、詩的感受性などによって交響楽のような美しい文体が実現しているのがポイントである。主人公の記憶の繰り出し方や、主人公の自然や人の言動への微細で独特な感受性が、詩的で構築的で芳醇な文体を作り出している。本作品は細部まで気配りをされた完成度の高い芸術作品であり、読み終わったときの感動は素晴らしかった。