albatros blog

広田修の書評とエッセイ

高山羽根子『居た場所』

 

居た場所

居た場所

 

  本小説を読んでいると、我々がいかに不安を忘却して生きているかわかる。本来私たちは、自分が何者であるかとか、自分がどこに住んでいたかとか、自分の存在を支える物事について確信を持っていないはずである。なぜなら、自分の存在の根拠というものはそれほど確実なものではないからである。だからこそ、私たちは自分の存在の根拠の不確かさを忘却しようとする。あたかもそれが確かであるかのように思い込んでいる。

 この小説では、主人公の妻は自分がかつていた場所の存否が不確実になること、また自分の民族的出自が不確実になること、による存在の不確かさにさらされている。そこで、かつていた場所へ戻り地図を作ったり、遺跡から発掘されたかつての入植民族を確かめたりする。だが、それははたして彼女の不安を和らげることになったのだろうか。

 私たちは、自分が何者であるかについて、また自分がどんな人生を送ってきたかについて、確証を持っている気持ちでいる。ところが、それは本当に確実なのか。実は自分が何者であるか、どんな人生を歩んできたか、そこには大きな不確実性が潜んでいるかもしれない。そのことについて考えさせられる小説だった。