albatros blog

広田修の書評とエッセイ

バタイユ『マダム・エドワルダ/目玉の話』

 

  思想家としてのバタイユについては何冊か本を読んでいるが、小説家としてのバタイユの作品を読むのは初めてである。だが、これらの作品は俗悪なポルノと言われてしまえばそれまでのような作品である。これはバタイユの思想という文脈があって初めて高尚に読み解かれるものだと思う。

 いわく、「個人という非連続的な存在が、エロティシズムと死のなかでのみ原初の連続性の幻影を望見する」という思想を表明しているのがこのポルノ小説なのである。ここには、思想とその文学的表出という難しい課題が表れてる。思想を表出した作品がそれ単体で読まれるたときにどこまで価値を得られるか、という問題である。これらの作品を読んだ感想としては、これはバタイユが書いたから幾分思想的に読めるというだけであって、普通の官能小説家が書いたらほとんど価値がないかもしれないということである。