albatros blog

広田修の書評とエッセイ

今村夏子『むらさきのスカートの女』

 

 語り手の位置が不透明でつくりに工夫がみられる小説。「むらさきのスカートの女」の顛末を「黄色いスカーフの女」が語るのだが、あたかも後者が前者の別人格あるいは執拗なストーカーのように思えてくる。そのくらい後者は前者のことを熟知している。これは小説における神の視点からの語りに近い。だが、今村は本作で語り手を神の視点に置かずに具体的な人間に落とした。だが具体的な人間はあまりにもむらさきのスカートの女について知りすぎていて不気味なのである。

 小説における語りとは何か。小説の語り手が小説内に侵入するとどのようなことが起こるか。今村はこの小説でそのような問いを投げかけているように受け取れる。今村は小説の語り手を絶妙な位置に置くことにより、これまでに類例をあまり見ないタイプの作品を作り上げた。この構成上の工夫は非常に面白く、射程の広い問題提起を投げかけると思う。芥川賞受賞は納得であるし、今村の力量はゆるぎない。