albatros blog

広田修の書評とエッセイ

藤本哲明『attoiumani_nizi』

 藤本哲明の詩は、若さや抵抗に淫する詩ではない。かつて、詩は青春や革命と深く結びついていた時期があった。その境位においてしか生まれない抒情も確かにあっただろう。だが藤本の抒情はそれとはまったく異なる。藤本は受忍・受容・寛容が生み出す抒情を詩っている。それは、藤本の臨床的な姿勢に基づくものだ。何事も、肯定も否定もせずとりあえず受け入れる。もちろんそれに対して藤本は反応するわけであるが、ひとまず受け入れるという余裕、そしてその受け入れる負荷からくる悲しみ。藤本の悲しみの普遍性は、この臨床的な受容に由来すると思われる。

 若さや抵抗からくる抒情ではなく、臨床的な受容・受忍からくる抒情。そこに私は現代の抒情の可能性を感じる。藤本の抒情の普遍性はそのあたりに宿っているのではないだろうか。