albatros blog

広田修の書評とエッセイ

クオ・チャンシェン『ピアノを尋ねて』(新潮社)

 どんな喪失があろうとも人生は残酷に続いていく。調律師はかつて天才ピアニストだったが挫折している。林サンは妻を亡くしている。そのような大きな喪失があっても、なお人生は何事もなかったかのように、まったくよそよそしく続いていくのである。この人生のまったき他者性、まったき中立性、そのようなものを如実に描いている作品だと思う。

 人生とはただの時間なのかもしれない。たとえその人生という入れ物の中に多彩な出来事が入るとしても、人生はただの他人面をした入れ物に過ぎない。このように、不偏不党の人生というものが形式的に存在しているということ。もちろん、多彩な出来事も含めて人生と呼ぶこともあるが、形式的な人生はまったくただの時間なのであろう。