albatros blog

広田修の書評とエッセイ

石井遊佳『百年泥』

 

 短い作品の中に水準の違う語りを上手に詰め込んだ感じがした。インドで日本語教師として働く主人公が、現地で大雨に見舞われ、町中水だらけで泥だらけになる。百年前の泥が町中にあふれ出てきたようで、死人が生き返ったり奇妙なことがいろいろ起こる。そのフィクションの水準が一つある。そして、現地での日本語教室の様子。これはまったく現在の描写という趣である。日本語教室でのやり取りと人間模様。この通常の語りの水準が一つある。もう一つは主人公が自らの記憶を手繰り人生を振り返る水準だ。時間軸を行ったり来たりするいくぶん実存的なこの水準が一つある。

 これら三つの異なる語りの水準が一つの短い作品に凝縮されていて、それが作品の密度を増していると同時に、作品を多方向に開いていく。この小説の魅力はそのあたりにたぶんあると思う。多様であるということはその分たくさんの隙間を内に抱くということだ。この隙間の分だけ読者は作品の中で呼吸ができるわけで、読者も割と自由に読むことができる作品だと思う。