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広田修の書評とエッセイ

高山羽根子『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』

 

カム・ギャザー・ラウンド・ピープル

カム・ギャザー・ラウンド・ピープル

 

  SF調の多い高山羽根子にしては珍しく正統派の純文学作品である。一人の少女の生い立ち、大人になってからの出来事などを書いている。とはいっても、一人の少女の人格形成の物語などではない。そういう成長物語ではなく、世界の中で見たら小さな出来事かもしれないが本人にとっては大きな出来事を通過する、その通過の物語ではないかと思う。

 祖母の死や性暴力の被害、同級生との再会など、本人にとってはインパクトの強い出来事をヒロインは通過する。だが通過しても決して解釈しないし理解もしない。大きな出来事は大きな出来事としてそもそも理解を拒むものとして存立している。大きな出来事を理解せずただ通過すること、人生はそんな通過に満ちていないだろうか。そこに作者の側から下手な注釈などつけないところが現代小説らしくていい。読者もまたその出来事の大きさを感じるだけで解釈などしなくてもいいのかもしれない。