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広田修の書評とエッセイ

四元康祐『日本語の虜囚』

 

日本語の虜囚

日本語の虜囚

 

  「日本語の虜囚」と題された詩集ではあるが、日本語に束縛されている不自由さよりも、むしろ日本語を自由自在にあやつっているという自由さが目立つ詩集である。むしろ、我々が普段使用している日本語がいかに日本語の小さな領域しか使っていないかが明らかにされている。我々の生活で使われる日本語などたかが知れている。それに比べて、日本語の領域を使い尽くそうとするとこんなにも自由で広々とした領域が開けてくるのだ。それこそ思想や哲学、雑学的知識であるとか、言葉遊びやひらがな表記など、日本語に囚われることで逆説的に日本語を自由に操ることが可能になっている。囚われていることを自覚することは、逆説的に囚われている状況を最大限に活用するという発想に結びつくのかもしれない。

 言語的実験とは、結局このように言語に囚われながら言語の可能性を最大限に実験するという非常に自由な行為なのだろう。