albatros blog

広田修の書評とエッセイ

ペーター・ハントケ『ドン・フアン』

 

ドン・フアン(本人が語る)

ドン・フアン(本人が語る)

 

  この小説の画期的なところは、ドン・フアンを第三者的視点から通俗的に眺めるのではなく、あくまでドン・フアン自身の視点に立って彼のなすことを独自の解釈でもって記述しているところである。一般大衆がある人物を評するのと本人が実際どうであるかを語るのとでは乖離があるが、それはまさにドン・フアンにおいても起こっているのだ。

 ハントケの描くドン・フアンはそんなに野心的でも力強くもない。女性との情交はどちらかが誘うわけでもなく、ただ「同期」するだけなのである。そしてドン・フアンは子供を失った悲哀に満ちている。ドン・フアンは女性を解放するし、女性といるときはただ休止しているだけだ。このように新しく描かれたドン・フアンは非常に繊細で哲学的で、通常のドン・フアン神話に回収されない新しさを多分に含んでいる。現代文学は伝統的な物語を新しく生まれ変わらせる可能性がある。その可能性を多分に感じさせてくれた。