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広田修の書評とエッセイ

ヘルタ・ミュラー『狙われたキツネ』

 

狙われたキツネ 新装版

狙われたキツネ 新装版

 

  本作品はチャウシェスク独裁政権下のルーマニアでの生活を描いたものである。独裁政権がいかに市民を抑圧したか、そして特権階級ばかりがいかに優遇されたか、そういうことが描かれている。

 独裁制は何よりも生活の連続性を破壊する統治体制だと思う。それは人と人との信頼を破壊し、平和で平穏な生活を破壊し、何よりも生活と社会を分離する。それを象徴的に示すのが独裁者の顔である。独裁者の顔と登場人物たちは非常に隔たっていて、その距離こそが社会中にいきわたっている亀裂そのものだ。また、度重なる家宅侵入によりちぎられていくアディーナのキツネは、そのような不連続性を如実に示している。

 このようなバラバラにされた不穏な世界において、愛でもって人々はつながろうとするが、それももはや正常な形をとりえない。軍隊で心に傷を負った恋人や、秘密警察の愛人、そのあたりにも偏在する不連続性が見て取れる。

 独裁政権を見事に描いた作品だと思う。