albatros blog

広田修の書評とエッセイ

軌道に乗ってきた

 さて、新しい部署に異動して、初めは仕事のやり方もわからず、何をしていいのかもわからず、ひたすら暗中模索していたのですが、最近ようやく軌道に乗ってきた感じです。主な業務については主な手続きについては大体できるようになり、また私が主担当となっている大きな業務については、長い下準備の果てにようやく成果品が出せそうになってきました。この一カ月の暗中模索の日々、引っ越しの手続きなども並行してやっていてなかなか大変でしたが、ここからが本領発揮と行きたいところです。

 朝早く出勤して、ときには夜も残業する。やはり本庁は忙しいですね。仕事の内容も複雑です。とてもやりがいがあります。

午前休

 今日は午前休です。歯医者に行くのが中心ですが、その他もろもろ生活の些事をこなしたいと思います。今週妻がいなかったので家事とかかなり溜まっています。あと買い物に行く必要もあります。平日は仕事と育児でほぼ潰れますので、こういう半日休の時をすごく重宝します。正直、育児をしていると週休二日では足りない。ベースのストレスがあるうえ、自分の時間が作れません。だから最近週休三日制を導入している企業が増えているのです。育児や介護をやっていると週休二日では足りない。だから私の場合は年休と子育て休暇をフルに使います。そうでないとやっていけない。

腹痛治る

 昨日の昼と夜、腸の薬を飲んだところ、今朝になって腹痛は止んでいました。まあストレスも結構あったと思うんです。慣れない仕事で同僚は休んでばかり。仕事が間に合いそうにない。主に仕事でのストレスです。それに加え、短い間育児から解放されたことにより、少し気が緩んだというか。

 とりあえず予防として、今日からランチはファミマの温かい弁当にします。やはり冷たい弁当は私のおなかには合わないようです。あとしばらく腸の薬を飲み続けます。あとしばらく夜の残業は控え、残業するときは温かい夕食を食べることにします。

 ストレスは自分の弱いところに表れます。私は胃腸が弱いので、今回のようなことにならないよう十分気を付けたいです。

腹痛

 最近、胃腸の調子が思わしくないと思っていました。下痢が多いし、どうも具合が悪い。そうしたら、今日の昼になってついに腹痛になってしまいました。原因はいろいろ考えられまして、まずランチが冷たい弁当になったこと。これが一番大きいのかな。前の職場にいたころは温かいお弁当を食べていた。冷たい弁当が胃腸に悪かったのではないか。また、夜残業するときは半額になった昼間の弁当を買って食べていたのです。これもかなりよくなかったのではないか。あとはもろもろのストレスと野菜不足ですかね。

 私は腸にガスや便がたまりやすい体質で、定期的に胃腸の具合を悪くするのですが、必ず原因があります。とりあえず薬を飲んでしのぎましたが、食生活を見直さなければなりません。

人員不足

 さて、異動してきた新しい部署は人員不足です。私の所属する係も、係長一人に係員三人の構成ですが、私以外の二人の係員は用配慮職員でして、4月ごろは二人とも半日勤務、4月の終わりから片方はずっと休んでいて、最近もう片方がやっと復帰しましたが、それでもいつまた調子を崩すかわかりません。

 私は朝型の人間で、朝早く出勤するので夜の残業はなるべくやりたくないのですが、こうなってくると夜の残業もやらざるを得ないのが現状です。何せマンパワーが足りないのですから。しかも私の主担当の業務は期限が迫っていて、それでありながら誰の助けも得られない状況です。皆が多忙。ヤバいですね。

 残業は労働効率を下げるので、残業しない方が仕事がはかどったりします。だから残業時間については慎重に管理し、自分の体調を害さない程度にやっていく必要があります。結局、一人の人間のできる仕事量には限度があるのです。

妻の不在

 さて、今日から木曜日まで、うちのマンションの駐車場で工事があります。工事の騒音で娘が昼寝できないと困るということで、昨日の夕方から木曜の夕方まで妻と子は義実家に避難することとなりました。しばらく一人暮らしです。こうなってみると多少寂しいですね。

 さて、GWも終わり、だいぶリフレッシュできたと思います。引っ越しに伴う手続きもほとんど終わり、私もいろいろ時間が取れるようになってきました。読書や創作に時間を割いていきたいですね。読み終わった本が何冊かあるので書評を書きたいです。

 今週一週間頑張りましょう!

石井遊佳『百年泥』

 

 短い作品の中に水準の違う語りを上手に詰め込んだ感じがした。インドで日本語教師として働く主人公が、現地で大雨に見舞われ、町中水だらけで泥だらけになる。百年前の泥が町中にあふれ出てきたようで、死人が生き返ったり奇妙なことがいろいろ起こる。そのフィクションの水準が一つある。そして、現地での日本語教室の様子。これはまったく現在の描写という趣である。日本語教室でのやり取りと人間模様。この通常の語りの水準が一つある。もう一つは主人公が自らの記憶を手繰り人生を振り返る水準だ。時間軸を行ったり来たりするいくぶん実存的なこの水準が一つある。

 これら三つの異なる語りの水準が一つの短い作品に凝縮されていて、それが作品の密度を増していると同時に、作品を多方向に開いていく。この小説の魅力はそのあたりにたぶんあると思う。多様であるということはその分たくさんの隙間を内に抱くということだ。この隙間の分だけ読者は作品の中で呼吸ができるわけで、読者も割と自由に読むことができる作品だと思う。